西成区は、大正14年4月1日、第2次市域拡張により、旧西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村の区域を持って誕生し、区名は旧郡名にちなんで名づけられたものです。 区の東部を南北にとおる旧紀州街道(住吉街道)は16世紀頃から堺の発展とともにひらけ、豊臣秀吉が堺政所や住吉大社への道中、この地でお茶を楽しんだことから、「天下茶屋」と呼ばれるようになり史跡を今に残しています。 明治以降、現在のJR大和路線・南海本線・高野線・阪堺線などが開通し、大阪市の発展・拡大とともに変貌し、明治末期以降徐々に向上・住宅が増加したことから、第1次・第2次の耕地整理がおこなわれて住宅地がつくられ、また木津川沿いには紡績・化学・セメント・鉄鋼・造船等の工場が次々と建設され、そこへ通勤する人の流れと人口の増加から多くの商店街が形成されていきました。 現在も、国道26号線・43号線・なにわ筋等の幹線道路、地下鉄・JR・私鉄が通る交通の便がよいところで、人口密度は極めて高い商工業のまち、庶民的な町として発展してきたことから、人情豊かな下町の風情が残っており、区民まつり・区民文化祭・体育レクリエーション大会などコミュニティ活動に区民をはじめ多くの参加があり地域コミュニティの拡がりがあります。